NPOさらんネットが主催して毎年開催している講演会の報告です。
その時々のタイムリーな話題や嵯峨・嵐山を中心とした重要なテーマについて各々見識の高い講師をお招きして開催しています。
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NPO法人さらんネット 第28回 文化講演会
開催日 令和6年10月5日(土)
場 所 京都府立 京都学・歴菜館
演題「開かれたお寺を目指して
~未来に向けたお寺改革、ビジネスマン僧侶の挑戦~」
講師 安永雄彦氏 浄土真宗本願寺派西本願寺 前代表役員執行長
講演内容
背景と自己紹介:
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NPO法人さらんネット第22-2回 文化講演会
開催日 令和6年3月2日(土) 14時30分~16時
場 所 京都府立京都学・歴彩館 参加者64名
演題「現代世界における 京都精神文化の貢献」
講師 松山 太耕 様
(臨済宗大本山妙心寺 塔頭 退蔵院副住職)
講演要約:
冒頭の臨済宗大本山妙心寺の解説があった。
ゴリラの研究で有名な山極寿一先生曰く「人間の定義と言うのは、宗教を持っ
ていると言うこと」
あらゆる生物の中で唯一人間だけが自分が死ぬこと知っている。
人生において 不安が生まれその不安を和らげ解決するのが宗教の役割。それについて今注目のされているのが、心と体と社会がいい状態、身体的、精神的社会的良好な状態を指すWel Beingと言う言葉がある。良き状態と言う意味であるが、昔と比べれば生きて行く為の条件は大変良く、働きやすくなっているのに、2013年頃から働き甲斐を感じなくなり、幸せをあまり感じないようになってきた。原因は現在社会のすべての場面において、SNSの情報と現実のギャップに惑わされ、食事、学校、病院、テーマパークなどあらゆる場面で比較し、自分の感性に自信が持てなくなってきている。
今、公表されていないが多くの世界的な趙名人京都を訪れている。世界の諸課題を話し合う国際会議が開催されている。領土問題や宗教問題など多様な課題を抱えている欧米の先進国に比べ、斯様国際会議の階催場所として日本が再認識されている。なかんずく文化都市京都が注目されている。
又、「禅」が注目されている。世界的なIT企業アップルの創始者スティーブ・ジョブスも日本に約1000年前に伝わった禅に注目している。禅の価値観に触れ自分を信じ自分を発見する。
日本の庭・弓道・剣道、外国の庭園・アーチェリー・フエンシング比較すれば大きな違いがある。外国の庭は左右対称、日本の庭園は非対称、アーチェリー、フエンシングは勝てば良しであるが、日本武道は勝敗も大事であるが姿勢・型・呼吸等自己研鑽の終わりはなく極限を追求する事にある。
松山講師が開成高校で講演されたとき生徒から僧侶になって何が良かったかと
問われ、それは不安や悩んだ時に佛教界には厳しい修行を積まれた先輩が多くお
られ適時何時でもその様な諸先輩に相談できたことだと答えられた。
IT社会は速く便利だが情報の氾濫、複雑化で人の心が疲れ、不安が広がっている、山紫水明の京都には有名な社寺が多くあり、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)と言う言葉もあります、時には真剣に坐禅を組み、庭を見て心の掃除をして心の安らぎを得る事も大切と言う結びであった。
聴講者からも好評で大変良い講演であった。
(文:運営委員 中村吉男 写真:運営委員 駒井一正)
盛会裏に終了しました。
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NPO法人さらんネット第22-1回 文化講演会
開催日 令和5年10月21日(土) 14時30分~16時
場 所 京都府立京都学・歴彩館 参加者60名
演題「嵯峨野の奥座敷 清滝の今昔」
講 師 豊田知八氏(保津川遊船企業組合 代表理事、
京都大学・東南アジア研究所研究員、
「清遊の里・嵯峨清滝を愛する会」主催者)
盛会裏に終了しました。
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冒頭、豊田氏は今年3月の保津川下りの転覆事故に万謝皆さんの暖かい支援に深謝
歴史的に見た、愛宕山、清滝の変遷を①清滝の地名の由来、②奈良、平安時代の愛宕山➂戦国時代、江戸時代④明治~昭和➄これからの清滝について講演された。
清滝と言う地名は空海が唐に留学、青竜権現を勧請され遥々海を渡って来られたから日本で水編を加えて青竜を清滝にした、山頂に鎮座する愛宕神社は奈良時代和気清麻呂と慶俊僧都が王城鎮護の為に祀ったことに起こる、平安時代には白雲寺建立愛宕聖とか清滝川聖と呼ばれ、住みつき愛宕信仰を全国に広めた。戦国時代は本地仏が勝軍地蔵であることで武家の信仰を集める、豊臣秀吉、徳川家康も帰依、明智光秀が愛宕参詣に詠んだ、
ときは今、雨が下しる五月かな、は有名、明治~昭和の旅館ますやのエピソー
ド、徳富蘆花が失恋と読書に耽ったことや与謝野晶子、鉄幹らが歌会したこと、三高の学生たちが清遊と称して常宿、支払いは出世払い、猛烈に対一高を意識し勝つ
ために留年も厭わない猛者らがいて青春を謳歌したと面白く話された。
後に文士、作家の梶井基次郎、田宮、、等政治家歴代総理、浜口雄幸、幣原喜重
郎、片山哲、ノーベル賞受賞学者湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈らが若き日に足繁く通った昭和初期、鉄道、ケーブル開通でホテル、遊園地、スキー場etc.最先端のレジャー地であった。茶店の仕事は女性、菓子しんこ、煎茶、天ぷら売り、男性は筏流し、林業、マッタケ、茶畑、清滝が最も栄えた時期であった、しかしながら、戦争で鉄道、ケーブルの廃線で一気に衰退の一途をたどる、現状は大変厳しい状況にある、これから如何にして再生していくか、観光復興、経済的発展、集落再生が机上の考えでなく、高齢化が進む住民の思いは安全、静かに過ごせる環境である。答えは現場にすぐには経済的活性化は望めないが、清滝の歴史的遺構、清流、
生物、紅葉、住民の思い、交通の便で再生が生まれることを期待と話された。聴講者から歴史がよくわかったし面白かったと好評でした。
(運営委員 中村吉男)
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NPO法人さらんネット第21回 文化講演会
開催日 令和4年7月23日(土)15時~16時30分
場 所 京都府立京都学・歴彩館 参加者 51名
演 題「南海トラフ地震と原発」
そして京都の断層(花折、樫原等)
防災への心構えを!
講 師 玉田 攻 京都大学名誉教授・理学博士
神戸大地震の後、全国に隈なく設置されたGPSによって日本列島の地殻変動の実態が非常に高い精度で把握される様になった。
トラフとは海底に出来た盆地で深さ6000m未満のものを指し南海トラフは静岡県駿河湾から宮崎県日向灘の範囲で、日本の南方フイリッピン海プレートが日本列島下のユ-ラシアプレートに潜り込み蓄積した歪が一気に弾けることに起こる地震で、歴史を紐解くと周期性があり、約100年~200年の間隔で巨大地震が起こって来た。
例えば1605年の慶長地震から宝永、安政、1946年の昭和南海地震までを説明、現在懸念されている南海トラフ巨大地震がいつ起こるか、周期説を考察すると、現代の科学では南海トラフ巨大地震予知は困難とはされるが、今後40年以内に地震が発生する確率が90%としている。
一方原発については現在 大飯、高浜、伊方、川内の原発が稼働しているが、伊方原発は四国の中央構造線断層、国内最大級の活断層の上にあり地質学的には考えられない危険な立地の原発である。また、原子力規制委員会が認めている地下深く固い岩盤で地震の揺れを認定した基準地震動、振動の激しさを表す数値として使われるガル(GaL)値が過小に低いので危険である。断層について、京都市や亀岡市は活断層に囲まれ度重なる地震活動により盆地地形が出来上がった、花折、樫原、宇治黄檗、有馬高槻断層が盆地下にも伏起している。
例えば1596年の慶長伏見地震、天守閣が崩壊多数の死者神社仏閣に甚大な被害発生した。日本列島は沈み込む側の太平洋プレ-トとフイリッピン海プレート、これを押し留める側のユーラシアプレート、北アメリカプレートという4つのプレートで構成されていて世界の面積の中で日本の占める割合は0.28%、しかし世界の地震の約2割は日本周辺で発生、現在日本では2千以上活断層が見つかっている地震巣、いずれの断層も活動間隔が何千年~何万年であり人間の活動時間約100年とは桁違いに長い。
一般に地質活動の変化を察知したり、予測する事は非常に困難な事であり、阪神淡路大震災後GPS活用で少し予知の精度は少しは上がったが正確に日時まで予測する事は不可能である。もし、南海トラフ巨大地震が発生した場合、巨大津波が襲い死者32万人、238万棟の建物が全壊や焼失、避難する人950万人、約9600万食の食料不足、経済損失220兆円に上がると言われている。
この様な事態に備えに日常的に防災に努めなければならない。過去の災害に学習すべきである。つまり犠牲者の死因を調べると、関東大震災は焼死、阪神淡路大震災は圧死、東日本大震災は津波の溺死が80%以上占めている。
この教訓を踏まえ、自分の住んでいる地域で、命を守るために日頃の心構えをどうすか。家屋の耐震補強、家具等の固定、防災用品を備える、家族の安否確認方法など、今回の講座はいろいろヒントを与えて頂いた大変有意義な講座であった。日頃最も注力しなければならない、防災のポイントは何か?当たり前の事を改めて考えさせられる講義であった。
記:中村吉男(運営委員)
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NPO法人さらんネット第20回文化講演会
開催日 令和3年10月23日
講師の中井先生
場 所 京都府立京都学歴彩館
参加者 60名、
演 題 「吉田光由と塵劫記」
講 師 中井保行先生(元府立嵯峨野高校教諭、京都先端科学大学附属中・高校非常勤講師)
吉田光由について 京都嵯峨に生まれた(1598~1673)江戸時代前期の和算家で角倉一族、毛利重能、角倉素庵に学び明の数学書算法統宗をもとに1627年29歳の時、塵劫記を表しました。
一族のルーツは滋賀の吉田から来た足利将軍の御典医の一族が吉田の性を名のる、又一族の中で土倉を営む者が角倉を名乗る様になりました。
京都嵯峨に移り土倉、貿易、土木工事等手広く行った人々が角倉家です。保津川を掘削し筏が通れるようにし、高瀬川を掘り、船運航、物流を盛んにしました。また、約400年前高度の算術、土木技術で光由と兄光長とで琵琶湖疎水のパイロットプラントの様な角倉隧道を完工、干ばつに喘ぐ嵯峨の田畑を潤しました。現在も現役で役割を果たしています貴重な土木遺産です。
塵劫記について 吉田光由が1627年に刊行和算の先駆けとなった実用算術書です。江戸時代初期塵劫記が刊行されると空前の和算ブームが到来、その背景には貨幣経済の発達があります。
光由が執筆した塵劫記はそろばんの使用法、測量計算、売買代金の計算法、土地の面積の求め方、掛け算の九九、俵杉算、蛇籠、盗人算、数遊び遊技問題も取り入れ楽しく学べるようにした、和算の入門書として子供から大人まで和算の大衆化に貢献しました。
その後、塵劫記が遺題と算額で実用数学から高等数学へ向上します。遺題とは巻末に答を付けない12の問題を載せて解いてみよと迫りました。世の数学者は先人遺題を解くことで能力を磨き、自分もまた新たに遺題を作り後世に託したこれが遺題継承です。算額は額や絵馬に数学の問題や解法を解けたことを神仏に感謝し、益々勉学に励むことを祈願して奉納することです。
このことが優れた数学者を世に送り出すことになりました。その頂点に立ったのが関孝和です。日本の数学史に多大な貢献した吉田光由と塵劫記の偉大さが分かります。
*中井先生が分かりやすく講演され、聴講の方も熱心にメモを取られ、素晴らしい講演会でした。
記:中村 吉男 運営委員
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NPO法人さらんネットの主催で
シンポジュームを開催致しました
テーマ:観光地保津川、嵐山のごみの現状と対策
時:2021年7月14日 15:00~17:00
場所:清遊の宿 らんざん 参加者:50名
テーマ:観光地保津川、嵐山のごみの現状と対策
この催物は、保津川遊船企業組合のご厚意で保津川下りに乗船し沿岸のごみの現状を視察して下船後第2部の企画として予定していたものでありますが、コロナ感染拡大防止のため、延期して開催する事になりました。尚、保津川下りの乗船は予定通り6月10日に行いシンポジューム(パネルディスカッション)のみ延期の開催となりました。(写真上)
パネラー:桂川孝裕・亀岡市長
豊田知八・保津川遊船企業組合代表理事
牧野順二・嵐山保勝会会長
長井喜美・嵐電嵐山駅エリアマネージャー
深町加津枝・京都大学大学院環境学准教授
コーディネーター:藤田裕之元京都市副市長
冒頭、藤田氏よりパネラー各位の紹介、山紫水明京都を流れる桂川、5世紀頃秦氏は葛野大堰を築き流域開発平安京造営の時京北町の木材を京都に運搬、17世紀に入ると角倉了以が急流と巨岩の続く保津川を開削、丹波の物資や材木を船で京都へ、120年前保津川下りの営業開始など歴史解説。
次いでテーマ①保津川のごみの現状と課題について、豊田氏、桂川市長、深町氏が所見開示。平成16年(2004年)保津川下りの船頭さんが保津川渓谷の自然景観に悪影響を与えるペットボトル、レジ袋、発泡スチロール等、流域に漂着するプラスチックごみとの戦いに挑んだところから、亀岡プラスチックごみゼロ宣言に至る経過説明があった。
NPO団体プロジェクト保津川を立ち上げ、GPSを使ったゴミの追跡調査も実施、保津川から防水バックを流すと一日で大阪湾まで流れ着く、川のごみは海のごみになることを実証、現在世界の海にプラスチックごみは1億5千万トン、そこへ年間800万トンの新しいゴミが流入、2050年には海洋プラスチックごみの量が海にいる魚を上回ると言われている。また厄介なのは、プラスチックごみが直径5㎜以下のマイクロ・プラスチックになって自然分解することなく数百年間自然界に残ると言われている。マイクロプラスチックが魚を汚染しその魚を私たちが口にする、人の健康への影響が心配されます。
プラスチックごみ減らす3R(リデュース、リユース、リサイクル)、レジ袋の有料化、2030年にプラスチックごみゼロ宣言、先見の明の亀岡市は日本、世界の環境課題を次々と解決されることを期待。
テーマ②嵐山の観光の在り方をめぐって牧野氏、長井氏、世界の名勝嵐山を守るために何をしていくか。ゴミ問題、インバウンド観光、景観の問題、地産地消。ごみ問題とインバウンド観光は関係が深い。言葉の壁、文化の違い、郷に入って郷に従えのことわざの通り、日本の文化、日本のマナー、日本の歴史等をいろいろな方法で教え守ってもらう様にすること。有機農業で美味しい農産物を育てる事が、地域ブランドを育成し地産地消を推進する事で、生産緑地を守ることに繋がる。又、この事が嵯峨嵐山の歴史のある自然を破壊することなく守り続ける事になるのではないだろうか。
(以上、文中順不同/敬称略)
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お知らせ
7月14日に行われた当NPO主催のシンポジウムが17日付の京都新聞で報道されました。(写真下)
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令和3年7月4日 さらんネット第19回文化講演会
「地産地消の有機農業で地球温暖化対策を!」
講師:松井三郎 京都大学名誉教授
●地球温暖化対策のためには、あらゆる分野のCO2削減が求められています。化石燃料とは違い、有機物質はカーボン・ニュートラルでCO2発生とはなりませんが有機物の消費と廃棄の段階で発生するCO2を地産地消で削減しなければなりません。そのためには有機性廃棄物を有価物・肥料に変え、食住と林業・農業・水産業でカスケード循環(SDGs)する技術も紹介。
会場:京都府立京都学・歴彩館 1階 小ホール
参加者 68名
【講演要旨】講演の概要を三つに分類
① 温暖化対策 温暖化ガス発生の抑制―吸収
カーボンニュートラル(排出されるCO2と吸収され
るCO2が同じ量)
② 有機農業とは 農林規格JAS法で厳密に指定されている
③ 地産地消 可能にする具体的な技術を紹介
イノベーション、画期的新技術を紹介
☆ 超高温発酵堆肥―枯草菌、放線菌
☆ 乳酸菌技術
☆ 亜臨界水技術
農水省は、2021年5月12日、持続可能な食料システムを構築、農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現する、みどりの食料システム戦略を策定。ロボット、ドローン、AI 利用のスマート農業、バイオ肥料、等が注目される。
温暖化対策 SDGs(持続可能な開発目標)人類共通の目標として2015
年9月に国連持続可能な開発サミットで採択された。誰一人
取り残さないを理念に世界中が共通して取り組むべき17の
ゴールを示している。
日本の現状食料自給率37%、6割以上を海外に依存、農業を
担う人も高齢化年々大きく減少、また世界の人口現在72億
人、2050年には97億人と予想。飢餓で苦しんでいる人が8
億2000万人以上。2017年度日本の食品ロス量612万ト
ン、食料の安定供給、地球温暖化、異常気象等課題に対応す
る事が日本に求められている。
有機農業と地産地消
化学肥料や農薬、遺伝子組み換え技術を全く使わない環境に優しい有機農業を100万ヘクタールで実施。そのために家畜糞などから作った良質堆肥を使う。残り300万ヘクタール農地には、下水汚泥等から作った良質堆肥を併用して農薬5割減、化学肥料3割減を達成して、美味しい作物の土づくりをする。地産地消が可能になる。
特に乳酸菌技術の乳酸菌混入の肥料、飼料が画期的だ。農薬を減らすことが出来る。
乳酸菌混入の肥料で栽培した野菜、メロンは甘くて非常に美
味しく高品質、また、乳酸菌混入の飼料で飼育した鶏はおと
なしく、美味しい、豚も内蔵が 丈夫、肉質も良く美味しい、
尚豚舎に臭気が無くなる等素晴らしい夢の技術である。直ぐ
にでもブランド化、安心、安全、美味しい高品質の品を消費
者 に届けられるように思われた。
亜臨界水技術 森林資源を活用して牛の粗飼料とフルボ酸混合液を生産。農業・畜産・水産業に役立。
中村吉男(NPOさらんネット運営委員)
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さらんネット第19回文化講演会の報告
「失われつつある嵯峨嵐山の文化遺産」
金久孝喜 運営委員 講演
NPO法人さらんネット第19回文化講演会が11月28日、京都府立京都学歴彩館にて開催された。演題は「失われつつある嵯峨嵐山の文化遺産」、講師は金久孝喜氏
(公園計画設計士、史跡調査補修設計士、郷土資料研究家、さらんネット運営委員)
古くから平安貴族に愛されてきた、風光明媚・山紫水明の景勝地、嵯峨嵐山地域が乱開発などによってその景観が失われつつある。幼少時代からこの地に住む講師(金久氏)にとっては、心傷む思いも込めた講演であった。
昔の風情を残していた講師の幼少時と最近の景観を写真などで比較して痛ましい現状の掲示があった。嵯峨天皇が愛したこの地域は王朝文化の風雅に浸る多くの文学遺産も残している。今、この景勝地の竹林、田畑、巨樹、茅葺屋根等々が乱開発によって損なわれてきていることをスライドを使って説明があった。
また最近では、近年外国資本によって土地の取得が加速、追い打ちをかけるように2022年の土地問題があり益々危惧される。農地の宅地化を防ぐためには生産緑地を如何に守るかと言う事と一体であり、地域の農産物のブランド化などにより地域で消費するいわゆる地産地消策も一考である。
地域住民の方にも知られていない、文化(土木)遺産である角倉隧道と戸無瀬の滝ついても説明があった。何れの遺産も保存の方法を真剣に考えるべきである。
結びに、講師として今後取り組んでいきたい課題として、①長辻通りの松並木の復活、②嵐山観光交流会館の建設、③嵐山の森林整備(植林)を提示された。
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さらんネット第18回文化講演会の報告
想定外の水害を〝凌ぐ〟発想を
宮本副理事長講演 数度の氾濫に耐えた桂離宮の防災思想
NPO法人さらんネット第18回文化講演会が10月11日京都府立京都学歴彩館にて開催された。演題は「想定外洪水から命を守る」、講師は宮本博司氏(元国土交通省淀川河川事務所長、本省防災課長・淀川流域委員会委員長、現NPOさらんネット副理事長、樽徳商店社長)。多数の参加申し込みがあったが、コロナ対応で止む無く参加者入場制限を行ったため63名の方の参加となった。
2011年の東日本大震災以来、日本全国で地震や豪雨による自然災害が毎年の様に繰り返されている。国の防災方針は、過去の実績値を参考に想定した基準に従って定められているが、自然現象と言うのは想定した時、想定した場所、想定した規模、想定した範囲内に起こるものでない。このギャップが異常な災害として国民の命を危うくしている。
講演では、各論として京都の洪水危険ゾーンについても解説があった。河川に沿って開発された住宅地は、所謂天井川と呼ばれる河川に沿っているわけで、河川の決壊が大きな被害に繋がる。又、これら河川の堤防は土砂又は砂で構築されているので強度的に濁流には耐えられない。堤防の補強こそ国土の強化策として急がれるテーマであるが、一方ダム建設の方策とのからみで大きく遅れている。
想定外の災害を防ぐのではなく凌ぐと言う発想が大切なのではないかと提案したい。
京都には数百年の古くから、今でも役立つ素晴らしい防災の発想が存在する。
400年前に構築された桂離宮は、桂川に沿って構築されているが、数度にわたる川の氾濫にも見事に耐え凌いできた歴史がある。
それは、洪水が起こる事を前提にした高床式の構築物と、洪水時につきもののゴミや土砂を防ぐフィルターの役割を果たしている敷地周囲に張り巡らされた生垣(笹垣)である。発想の転換が求められる時代である。
多くの参加者から大変有意義な内容であったとの謝辞をいただいた。
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講演会写真集 撮影:駒井一正(運営委員) 2020.10.11
会場内の様子(1) 2020.10.11 京都学歴彩館
開会のあいさつ(大前理事長)
鵜野氏、山本氏 両運営委員
会場入り口
講師(宮本副理事長)
司会(大島理事)
会場内の様子(2)
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京都学歴彩館・さらんネット第17回文化講演会
講演会「魔界と妖怪」盛況裏に
平安遷都にまつわる怨霊と鎮魂の歴史
NPO法人さらんネット第17回文化講演会が2月16日、京都府立京都学歴彩館で盛況裏に開催された。参加者は330名。講演のテーマは「魔界と妖怪」。講師は国際日本文化研究センター所長で、学究生活40年を超える文化人類学および民俗学者の小松和彦先生。(写真は講演会会場と京都新聞の記事)
今回小松先生は、日本の妖怪伝承は世界でも稀にみる豊かな内容の文化である事を語られた。妖怪とは何処にいるか? その棲み処は? 等々を4つの伝承、すなわち口承、書物、劇、絵画を通して話された。
1200年の歴史をもつ京都には怨霊、妖怪、鬼(大江山酒呑童子)、天狗等の歴史的痕跡が数多くあり、怨霊が祟(たた)りとなる考え方はすでに奈良時代からあったという。
有名なのは、桓武(かんむ)天皇が奈良・平城京から長岡京~平安京へ遷都を行う過程で腹心の藤原種継(たねつぐ)が暗殺されるという大事件にまつわる話である。桓武天皇はこの陰謀を企んだという嫌疑を弟・早良(さわら)親王にかけ、これを処刑し、その亡骸を淡路島に流す死後処刑の極刑にした。この処罰の後、桓武天皇の周辺で様々な不幸が連続する怨霊問題に発展したのだ。天皇の生母・高野新笠(たかののにいがさ)、皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が相次いで死に、洪水や疫病の流行など天災も続いた。
これは早良親王らの怨霊だと恐れた桓武天皇が、この霊を鎮めようと創祀し上御霊神社を創建したとされている。その他にも藤原時平の讒訴(ざんそ)により流刑となった菅原道真は北野天満宮に、保元の乱で敗北した崇徳院は白峯神社に、後醍醐天皇は天龍寺にそれぞれの霊を鎮めるために祀られている。
陰陽道では怨霊は鬼とみなされ、道饗祭(みちあえのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、四角四境祭(しかくしきょうさい)などで霊を鎮める習わしがある。祇園祭、節分祭、やすらい祭、梅花祭などもそうした鎮魂の祭りだ。店舗や住宅に鬼門をもうける習わしも今日まで続いている。
また小松先生は、学究生活で特に印象に残った訪問地として「諸国一見の僧」のように神泉苑、もどり橋、鞍馬寺の三ヶ所ついて話された。
神泉苑では、雨乞いの祈祷で空海に負けた守敏(しゅびん)の逸話、祇園祭の鉾の原型の話、もどり橋では三善浄蔵(みよしのじょうぞう)が父・清行(きよゆき)の葬列に出くわし泣き崩れると死人があの世から生き返ったという伝承がある。現代でいうならゾンビである。
また出征兵を思い家族がもどり橋へ行くと無事もどる。反対に縁談にかかわるひとは嫁が実家にもどるから行ってはいけない等々の伝承もある。また有名な鞍馬寺は天狗の首領・鞍馬天狗が義経に剣術を伝授し、義経が修行した場所であるとの逸話も紹介され、講演は万雷の拍手で終えられた。
最後にサランネットの大島理事が雨天、新型コロナウイルスの影響にも拘わらず多くの参加者にご来場いただいたことに謝辞を述べ、今後のさらんネット文化講演会を6月28日、10月11日、令和3年2月14日に開催する予定であることをお知らせして終了した。(運営委員・中村吉男)
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講演会「嵯峨大念仏狂言の歴史と今」盛況裏に
11月14日 参加者の狂言面着用体験も
令和元年11月14日、当さらんネット特別無料講演会(京都学・歴彩館府民協働講座)が『嵯峨大念仏狂言の歴史と今』と題し、約70名の参加を得て開催しました。講師は当さらんネット副理事長の加納敬二さん。
嵯峨大念仏狂言が執り行われる清凉寺は、嵯峨天皇の皇子源融(みなもとのとおる。光源氏のモデル)の山荘を寺に改めた棲霞寺(せいかじ)がその原型と伝えられる。奈良東大寺の僧奝然(ちょうねん)が中国(宋)に渡って修行の後、釈迦尊像を持って帰国。釈迦像は一時上品蓮台寺に安置され、没後、弟子の盛算(じょうさん)が師の遺志を継いでこれを移し創建したのが清凉寺である。
この釈迦像は国宝で清凉寺式釈迦如来と呼ばれ、尊像胎内に絹で出来た人間の内臓の模型があり、非常に珍しいことで有名である。
また毎年3月15日のお松明式は、釈迦涅槃(ねはん)の荼毘(だび)を暗示する行事で、三基の大松明は三種の稲(早稲、中稲、晩稲)の豊凶をも占うもので京都三大火祭り(鞍馬の火祭り、五山の送り火)の一つである。
さて本題の大念仏狂言。雅楽が奈良時代に中国大陸より伝わり、平安時代に変化した様に、能と狂言の元祖も奈良時代に大陸から伝わってきた散楽が平安時代に変化して猿楽に変わったことは雅楽とよく似ているところがある。
この猿楽が歌舞劇風になったのが能であり、喜劇風になったのが狂言である。故に能と狂言は密接な関係にあり能と能の間に狂言が演じられる事がしばしばある。
狂言の創始者は鎌倉時代中頃の僧、円覚十万(えんがくじゅうまん)上人である。最初はJR花園駅近くの法金剛院(蓮寺とも言われ、国の特別名勝の青女の滝、夏の蓮の花も有名)を本拠として壬生や嵯峨に広められた。これは仏教の布教のため仏の教えを説いたものである。京都には三大念仏狂言がある。壬生寺の壬生大念仏狂言、引接寺の閻魔堂大念仏狂言、嵯峨清凉寺の嵯峨大念仏狂言である。
壬生、嵯峨は狂言面をつけての無言劇で、引接寺は有言劇であるのが特徴であるとの説明を受け、講演を終えた。
質疑応答に入り、狂言の面の保管場所は? なぜ狂言なのか? 能と狂言の面の違いは? 等々活発な質問があり講師の加納氏が丁寧に解かりやすく応答しました。
最後に注目の狂言面の着用実技が行われた。二人の女性がこれに参加し、会場は興味津々で一瞬固唾をのむ静寂。素晴らしい雰囲気に包まれて大好評のうちに講演会を終えることが出来ました。(中村吉男)
【2019年11月22日更新】
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嵯峨嵐山に多くの遺産、秦氏一族の功績をしのぶ
7月18日 歴彩館共催の歴史講座第1回 盛況裏に開催
NPO法人さらんネットの歴史講座「京都の歴史のルーツを探る/嵯峨野地域の歴史について 特に嵯峨野の古墳群」が、2019年7月18日、午後3時より京都学歴彩館にて開催された。当NPOでは定例の講演会を毎年開催しているが、今年後より京都府歴彩館との共催で開催することになり、今回はその第1回。今年度中に更に2回開催する。
埋蔵文化財の権威で当さらんネットの加納副理事長が講師を務めた。参加者は95名で盛会裏に開催する事が出来た。(写真上)
7月6日にユネスコ第43回世界遺産委員会で仁徳天皇陵古墳が世界遺産登録に決まったこともあり、古墳には関心が高まっている。そうしたなか、講座の話は渡来系の蘇我氏(仏教)と物部氏(神道)の宗教的争い、飛鳥時代につらなる雄略天皇(第21代)が秦酒公を統率者とした頃のいきさつ、秦氏一族が推古天皇(女帝)の時、秦河勝が聖徳太子から仏像弥勒菩薩像を授かり広隆寺を建立したこと、秦氏ゆかりの地京都、嵯峨・嵐山に広隆寺(秦河勝)松尾大社(秦忌寸都理)伏見稲荷大社(秦伊呂具)蚕ノ社等々を建立したこと。また、暴れ川だった桂川を先進の土木技術で井堰、灌漑、堤防を築き御築き穀倉地帯に変え、稲作、養蚕、機織りの産業を興し、都市区域から離れた山紫水明の地に多くの古墳(天塚古墳、蛇塚古墳・・・)を築いた事などが解説された。
講座終了後、質疑応答で、聴講者から活発な質問があった。
秦氏一族の功績は偉大無比で、嵯峨、嵐山には身近な所に貴重な歴史的遺産があり、大切に保存し次世代へ継承を義務付けられている事を改めて認識する講座でもあった。
【2019年7月23日更新】
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文化講演会は盛況でした
「ブラタモリ」の梅林秀行さん
最新の知見から京都、嵯峨嵐山の地形を読み解く
2月16日、右京ふれあい文化会館で、当さらんネット主催の文化講演会が215名の参加者をえて行われました。講師はNHKの人気番組『ブラタモリ』の案内役として最多出演され、タモリさんから全幅の信頼を得ておられる「京都高低差崖会」崖長・梅林秀行さん。
講演は、梅林さんが独自の視点から街歩きを何度も重ねた上に最新の知見を織り交ぜた京都にまつわる興味深いお話。『ブラタモリ』の裏話も交えつつ、京都、嵯峨・嵐山の地形と歴史を紐解いて頂きました。
(2019年2月)
●梅林秀行先生プロフィール
・京都を中心とした凸凹地形を探索する「京都高低差崖会」で活動中。
・まち歩きガイドもつとめる。NHK テレビ番組「ブラタモリ」準レギュラー。
・最新出演は2018年4月放映の「京都・銀閣寺編」及び「京都・東山編」。
・著書に『京都の凸凹を歩く』1&2巻(青幻舎)。「まちが居場所に」をモットー
に、街の日常と物語から生まれたメッセージを大切にしている。
・趣味は銭湯へ通うこと。おいしいくるみパンを探すこと。
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平成30年度文化講演会
「鎌倉との比較」から見た“中世の嵯峨” を聴いて
山田邦和・同志社女子大学教授による中世・嵯峨の都市像の発見
「嵯峨は単なる郊外ではなく、京都の観光地の中でも数少ない重層した歴史が感じられる場所です」
古代-中世の考古学を専門に京都の遺跡巡りを続ける山田邦和教授(59)は洛中を中心とした中世京都像ではなく、洛中と周辺地域が有機的につながってひとつの都市圏を作ったとする新たな都市像「巨大都市複合体」を提唱する。それを構成する「衛星都市」の代表格が嵯峨なのだ。
以下は山田先生の講演要旨。(加納敬二)
【当NPOの出版事業第5弾『嵯峨野誕生物語』発刊記念講演会です】
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鎌倉から室町時代へ
上京と下京からなる京都・洛中は、確かに当時の超巨大都市でした。しかしそれだけでは完結しませんでした。中世国家の本質は武士や天皇、寺社など多様な権力が絡み合って民衆を支配したことにありますが、京都も同じです。幕府に支配される洛中だけでなく、周囲には御室や伏見、南禅寺など小さな衛星都市が散らばり、多様な権力がモザイク状に絡み合っていました。だからこそ首都でもあったのです。中心になる巨大都市と衛星都市が有機的につながり、都市圏をつくっていた。まさに中世の京都は巨大都市複合体だったといえます。
都市の様相を示す
その最大の衛星都市が嵯峨でした。平安時代から室町時代にかけ、嵯峨の変遷を示す5点の絵図が残っていました。それらを見ると、平安時代の嵯峨に、まず嵯峨天皇の皇子、左大臣源融(みなもとのとおる)が別荘を建てます。衰退して後に寺院になり、ここにやがて清凉寺(せいりょうじ=嵯峨釈迦堂)が建立されます。このため、同寺の境内には 源融を祭るお堂があります。また近辺には嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子(たちばなのかちこ)の檀林寺をはじめ天皇の関係者が別荘や寺を築き、嵯峨は単なる農村でなく都市としての様相を示し始めました。
※嵯峨では以前、小倉百人一首をテーマにする観光施設「時雨殿」建設(右京区)に伴う発掘調査で、鎌倉時代に後嵯峨上皇が造った離宮「亀山殿」の庭園遺構が初めて発見されている。
院政王権都市の「朱雀大路」
鎌倉時代の「亀山殿」は後嵯峨上皇の遊学の場でした。上皇は、吉野から嵐山に移植した何百本もの桜をこの亀山殿から眺めて楽しみました。亀山殿の周囲には貴族や武士の邸宅も並び、清凉寺の前から大堰川までメーンストリートが築かれます。今の天龍寺の前の通りです。人々はそれを「朱雀大路(すざくおおじ)」と呼びました。平安京のメーンストリートと同じ名称です。都に匹敵する大路であると人々の強い意識があったのでしょう。近くには藤原定家の別荘や法然ゆかりの二尊院もあり、亀山殿を中心とした「院政王権都市」だったことが偲ばれます。
清凉寺と鶴岡八幡宮
最も注目されるのは、当時の嵯峨と幕府があった鎌倉が似ていることです。清凉寺と鶴岡八幡宮というそれぞれの宗教施設からメーンストリートが伸び、水面へつながる。東西の王権が期せずしてほぼ同形、同規模の都市を造った。鎌倉は京・洛中と比較されてきましたが、規模や地域性から嵯峨と比べるべきだと思います。
南北朝時代には後醍醐天皇が登場して院政を否定するため、亀山殿は解体されます。室町時代にかけて嵯峨一帯は、王権都市から宗教都市の性格を帯びてきます。
※山田先生によれば、嵯峨の最盛期は室町時代半ばで人口は8千人から1万人。地方都市としては超巨大都市といえる。この頃の洛中には十数万人が住んでいた。
嵯峨・歴史の奥深さ
亀山殿の跡地に足利尊氏が天龍寺を創建し、臨川寺なども建ちます。これらを中心に百数十の寺院、数百軒の民家が立ち並びました。僧侶の衣を染める 紺屋=藍(あい)染屋など寺院に関連する仕事も多くありました。しかし、応仁の乱によって天龍寺が焼けるなどして嵯峨は大きな打撃を受けてしまいます。
このように嵯峨の歴史を考えると中世の京都像はより豊かになります。洛中だけでなく、嵯峨にも歴史が幾重にも重なり、その奥深さを感じられるのです。鎌倉時代の「院政王権都市」、室町時代の「宗教都市」をキーワードに嵯峨を見つめなおそうということです。(2月17日 京都ひとまち交流館にて)
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『嵯峨野誕生物語』発刊(近日発刊予定)記念講演会
平安・鎌倉時代の嵯峨の実像に迫る
同志社女子大学教授 山田邦和教授が語る
さらんネット恒例の春の文化講演会が2月17日、京都市下京区のひとまち交流館で開催されました。今回の講演会は、当NPOの出版事業第5弾『嵯峨野誕生物語』発刊記念講演会です。講師は同志社女子大学教授で考古学や都市史学がご専門の山田邦和教授。「鎌倉との比較から見た中世の嵯峨」と題し、平安時代から残された貴重な地図など豊富な資料をもとに、平安京の欠くことのできない衛星都市だった嵯峨の位置取りについて約一時間半にわたり講演して頂きました。(写真上)
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文化講演会報告
平成29年度 文化講演会
日時:平成29年2月11日(土) 14:30開場 15:00~17:00
場所:京都市 ひと・まち交流館
演題「嵯峨育ちから見た嵯峨野観光」
講師:井上章一 様(国際日本文化研究センター教授)
京都大好き?!「京都ぎらい」
井上章一先生講演会 奥深い歴史と郷土愛を語る
2月11日、当NPO法人主催の文化講演会が、井上章一先生を講師に招き河原町五条の「京都市
ひと・まち交流館」で開催されました。テーマは「嵯峨育ちから見た嵯峨の観光」。井上先生の著書『京都ぎらい』でも紹介された、洛中とは好対照の歴史を持つ嵯峨。ここに育った独特の郷土愛を自身の体験を通して優しく語って下さった。以下、参加者から寄せられた感想を掲載します。(写真上=井上先生)
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「“嵯峨そだち”から見た嵯峨の観光」を聴講して
さらんネット運営委員 春田正弘
井上章一先生の標記講演を聞いた私の感想です。
花園に生まれられ、幼児から高校時代まで嵯峨に在住された同氏の青春時代のエピソードを中心に話されたものやわらかいトーンのお話は、嵯峨に住んでいる私には、大変懐かしいものでした。
私も嵯峨小学校の生徒であった頃、映画の撮影には、天龍寺や、清凉寺、大覚寺などよく出かけて行ったものです。舞台が江戸なのにどうして嵯峨での撮影?と思ったことは度々ありました。
先生の高校時代、つまり1970年代頃は、確かに嵯峨も女性の観光客が多く見うけられましたが、私には残念ながら先生のように女性を案内するようなトキメキはありませんでしたが……。今では様変わりに外国の観光客が増えています。私も定年退職後、15年間、ガイドで何度観光客に嵯峨をご案内したか、いい想い出ですが。
先生の著書である『京都ぎらい』を私も読ませてもらいました。私の感想では「京都ぎらい」どころか、講演を聞いていても本当は京都が大好きな方のように思えました。
講演の途中に、ピアノでのジャズ演奏2曲を弾かれたのには驚きでした。初めての体験でした。本当に講演を楽しませて頂き、嬉しかったです。(2017年2月11日)
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文化講演会報告
平成28年度 文化講演会
日時:平成28年3月13日(日) 15:00~17:00
場所:ハートピア京都
演題「日本人と宗教心」
講師:山折哲雄 様(哲学者)
平成28年 さらんネット・文化講演会
ガイドブック「続・京都 嵯峨・西山歩きま専科」発刊記念講演 終了しました。
山折哲雄先生に聞く「日本人と宗教心」
*NPOさらんネットが今回発刊する「続・京都 嵯峨・西山歩きま専科」は、嵯峨、西山・大原野に加え京北町など、京都のウエストサイドの「みち」をキーワードに紹介しています。史跡・遺跡や多くの文化遺産がある歴史的にも重要な場所です。
今回の講演会は、山折哲雄先生に「京都のウエストサイドの山間部に、多くの寺院が建立された宗教的背景や日本人の宗教観」等についてご講演を頂きました。
◆山折哲雄先生プロフィール
1931年サンフランシスコ生まれ/1954年東北大学文学部インド哲学科卒業/同大学院卒
2001年国際日本文化研究センター所長、名誉教授/国立歴史民族博物館名誉教授/夕焼け京都
熟塾長/2001年京都新聞大賞文化芸術賞/2003年NHK放送文化賞
主な著書:「坐の文化論」/「神と仏~日本人の宗教観」/「日本文明とは何か」/「日本のこ ころ、日本人のこころ(上・下)」他多数
日 時:平成28年3月13日(日) 14:00開場 15:00開演
場 所:京都府立総合社会福祉館「ハートピア京都」3階大会議室
●お陰さまで、盛会裏に終了しました。
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平成27年度 文化講演会
日時:平成27年2月14日(土) 14:30開場 15:00~17:00
場所:京都市右京区役所・さんさ右京 5階大会議室
演題「嵯峨・嵐山の古墳群」
講師:加納敬二 様(京都市埋蔵文化研究所)
「京都 嵯峨・西山歩きま専科」発刊記念講演会
「古(いにしえ)の京を知り、今を歩く」
日 時:平成27年2月14日(土) 14:30開場 15:00開演
場 所:京都市右京区役所 サンサ右京5階 大会議室1・2
参加来場者:78名
第1部 15:00~16:25
演 題:「嵯峨・嵐山の古墳群」
講 師:加納 敬二 様 京都市埋蔵文化財研究所
嵯峨・嵐山の遺された遺跡や古墳の事例を説明頂き、当時の社会や人達の生活等を分かり易く講演して頂いた。 |
第2部 16:35~17:10
演 題:「山登りの心得」
講 師:四方 宗和 様 京都府山岳連盟会長・京都一周トレイル会会長
安全で楽しい山歩きをする為に、必ず守らなければならないマナー や心掛けについて登山歴50年のベテランのお話をお聞きした。 |
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平成26年度 文化講演会
日時:平成26年2月22日(土) 14:30開場 15:00~17:00
場所:西陣織会館 7階第1会議室
演題「明治期の京都復興と美挙」-ラストサムライ 山本覚馬-
講師:郷土史家 水島 勝寿 様(会津会 幹事)
約50名の参加者があり予定通り盛会裏に開催した旨事務局より報告があった。